#03 創作のプロセスを開示する美学【香久山雨スペシャルインタビュー】


香久山雨スペシャルインタビュー「創造の向こう側へ」ナビゲーターをつとめます、マインドフルネス・セラピストの三嶋かよです。第3回目ということで、今日は作品創りのプロセスについてお話を伺っていきたいと思います。



三嶋かよ:私は雨さんのブログの読者でもありますが、インスタとかSNSはいつも拝見してるんですけども、今日のこういうインタビューも含めて創作の過程をSNSで公開しようと思ったきっかけを教えてください。



香久山雨:そうですね、色々あるんだけど。一番は、絵の良いところでも悪いところでもあるけど、見た人がどうとでも捉えられるものじゃないですか。感じたままに捉えることができるものである。絵っていうのは。自由で、ある意味良さでもあるんだけど、こういう風に捉えられて本当にいいのかなみたいなこともあるんだよね。私が自分の作品を創る中で思ったことというよりは、私が一鑑賞者として、例えば美術館に飾ってある作品とかを見るときに感じてきたこと。


例えば、パッと何の前知識もなく見た作品、初めて見た時の印象と、その作品が持ってる歴史的背景とかコンセプトを知った後に見る絵っていうのは、どうしても違うんだよ、感じるものが。感じる内容がもう違うってことは、機能がまるで違うっていうこと。別物で捉えていいと思う。私は。だからその絵に紐づいてる情報っていうのはめちゃめちゃ大事ってことだよね。


私がいつも、美術史とかを学んで、うーんって悩むのは、歴史って、本当に本当に、事実かなんて分からないじゃん。後になってから、都合のいいように改ざんされてることとかも、すごくたくさんあると思う。本当にどうかはよく分からないんだけど。私は歴史の専門家じゃないから。でも、美術史にもそういうの絶対あるなって思う。


そもそも美術っていうのは主観的なも。この絵を見てあなたはどう感じますか?っていうのは、完全に主観的な世界じゃん。だけど、それに、さも客観的な物語っていうのをくっつけてる。くっつけてるから、価値がある作品とない作品ってのが決まるわけ。逆に言えば、客観的な指標というものがなければ、価値のあるなしも決められないのよ。なぜなら、美術品というのは元々は主観的なものだから。


そういう複雑な側面がある中で、例えば時の権力者がこの美術品をこういう風に紹介したけど、その作品を作った本人、作者っていうのはそういう風に紹介されたくなかったということも往々にしてある。それで、どんな仕事しててもそうじゃん。

例えば、お金を出資する側の魂胆と、そのお金を受け取って何か創った人の表現したい事っていうのは、完璧に合致してるなんてないじゃん、基本。だからその折り合いがつくところで創ってきたのが、美術の歴史だと思うんだよね。


というのを考えた時に、あまりにも作者が思っていたことと違う風に作品が世に出てしまった時というのは非常に怖い。それで、歴史上そういう心の葛藤みたいなものを抱えた作家が自殺しちゃうとかあるわけだよね。これって、大なり小なり、色々なところで起きてる問題だと思う。自分が伝えたかったメッセージとは違う形で自分の作品が一人歩きしてしまう。で、私は自分が全然有名じゃないんで、そういう目にあったこともないですよ、全然。


自分の作品の意図を自分が思った通りに捉えてもらえないで苦しんだ事とかも、ほとんどないんだけど、でも、そういう経験をしてない今だからこそ予防しておいた方がいいと思ったの。私はこの作品をこういう風にして創ってきた、とか、こういう気持ちがある、こういうきっかけがあってこの作品を作ることにしました、とかっていうのは自分の言葉でちゃんと説明しておかないと、いくらでも後で脚色されちゃう危険性があるんだよね。


いろんな批評家が、作品についてわんさか言うわけですよ。歴史に残ってる作品なら尚更ね。でも、そういうもの以上にその作家の年表、どんなふうに生まれて、どんな風に生きてきたか、ということと、作家が残した言葉を研究しなさいって、尊敬してた美術史の先生は、私に言ってくれたの。私はその教えを胸に、色々勉強しているんですけど。そういう考え方を基盤として、私も作家として活動していきたいなって思ってるんだよね。だから、作家の言葉を大事にする文化っていうのを

もっとに広めたいって思う。



三嶋かよ:なるほどね。確かに勝手な解釈でストーリーをくっつけられたりすると、伝わり方が全然変わってくるもんね。それを前提にして見ちゃうから。



香久山雨:そうなの。だから絵そのものは、物質的には変わらないけど、伝わってるメッセージが違ってことは、違う機能のものになってしまってるから、違うものになっちゃってるんだよね。作家の目が黒いうちはっていうか、作家が生きている間ぐらいは、戦っていいことだと思うのよ。死んじゃったもうどうしようもないから、生きてる人に任せるしかないから、せめて生きてる間は頑張ろうかなって思う。



三嶋かよ:更に今は、発信するツールがたくさんあるからね。



香久山雨:いくらでも発信できるわけだから、いくらでも作家の生の言葉を聞いて

鑑賞することができるわけですよ。私たちは。こういう時代って今までなかったと思うから、良い時代だと思う。だから、作家と鑑賞者っていうのがやっぱり密に繋がって、間にある作品っていうものを、一緒に解釈して、育てていけたらいいんじゃないかなって思う。



三嶋かよ:育てていく・・・なるほど。



香久山雨:結局、作品っていうのは世の中に出してから育ってくんだよ。何も見せてなかったら、ないのと同じじゃん。世の中に出して、それを見てもらって、見てもらった人が何か感じて、感じたことから文化ってものが生まれるじゃん。だから鑑賞者と作家と作品の三者っていうのかな、三者が一体となって文化を創っていく、作品が育っていくっていう風に私は捉えていて。これがねめちゃめちゃ大事だからね、結局。作品を完成させることと同じくらい大事なこと。ここも頑張りたい、私は。なので今回個展で、作品を出してからその後の方がめっちゃ大事って思ってる。



三嶋かよ:なるほど。そこがゴールじゃないんだね。



香久山雨:ゴールじゃない。作品を出して、一応値段はつけるけど、売れようが売れまいが、とりあえずどうでもよくて、私がこの絵を、どういう風にこれから育てていきたいか。この絵を社会の中でどういう役割を担わせていきたいかっていうのを、見て下さった人と共有したいんですよ。未来のことを一緒に考えたい。



三嶋かよ:未来のことなんだ!



香久山雨:未来を考えたいの。絵を通して。私たちの未来ってどうしたらいいかなみたいなことを、絵をきっかけにして一緒に考えたいって感じなのよ。


だから、やっぱりプロセスを見せるとか

自分の言葉で発信するっていのうのが、

すごく大事っていう話になる。ここで終わりじゃないから。続いていくので。



三嶋かよ:大切なのは材料だもんね。



香久山雨:そうなの。見てもらう人にとって大切な判断材料の一つになる。



三嶋かよ:本人の口からきちんと表現できるのもある意味すごく恵まれた環境にあるかもしれないね。



香久山雨:そういう時代に生まれたからには、挑戦したいなって思う。



三嶋かよ:なるほど。ありがとうございます。次は、この個展のフライヤーにもなっている代表作、



香久山雨:「black-eyed angel」黒い目をした天使っていう作品ですね。



三嶋かよ:この作品の初めの構想から、今回の個展で展示される作品の完成に向けて、その流れをちょっと教えて頂きたいんですけれども。



香久山雨:この絵は、ものすごく思い入れがある絵です。私は大学の3年生ぐらいの時に鉛筆ですごく細かい植物のデッサンをやってたんですけど。その後、4年生以降かな、全然描けなくなっちゃったんだよね。鉛筆で絵を描くって言うのが、どうも肌に合わなくなっちゃって、できない期間が6年ぐらい続いた。


2018年に知り合いに、あるピアニストを紹介してもらったんですよ。「雨さんの作品をそのピアニストは絶対好きだと思うから」って、その人のコンサートに連れてってくれたんだよね。その時に、その人の音を聞いて私は自分が昔描いた、植物のデッサンをスーッと思い出したの。人の演奏を聞いて、自分の絵を思い出すって不思議な感じ。記憶が蘇ったの。自分がこういう作品を創っていた。その時にどんな感覚で描いてたか、みたいな記憶も一緒に蘇ってきたんだよね。


自分ではよく分からないけれども、紹介してくれた人が、雨さんの作品きっと好きだと思うよ、このピアニストは。っていうんで紹介してくれただけあって、何か関連性があるんだろうなって思ってたんだよね。


それからちょっと時間が経って、一年くらいかな、そのピアニストが日本に来るって言うんでどうしても、絵をあげたくなっちゃった。私にとっては昔の自分を思い出させてくれた重要な人なのよ。私にとってあなたがどれだけ重要かみたいなことを言葉で言ったとも、意味ないじゃん。口では何とでも言えるから。だからこの気持ちが真実であることを証明するには、絵を描くしかないと思ったの。


そのピアニストの曲を聴きながらイメージして書いたのがこの「black eyed angel」です。



三嶋かよ:雨さん自身もピアノを弾いたりとか、音楽との関係性もすごく深いもんね。私、この雨さんの作風っていうのかな、この白と黒の陰影の世界雨さんならではだなって、初めて見た時から感じていて。どこか雨さんの憂いとか孤独、なんか悲しみみたいなものも感じていたんだよね。儚さっていうのかな。儚さが大好きだったし、私も雨さんの作品のポストカードを自分のサロンに飾っているんですけれど。この雨さんならではの世界観。この白と黒の世界について少しお話伺いたいんですけど。



香久山雨:白と黒の世界ね・・・意図的にこういう作風になったってわけではないです。「白と黒を使ってやってくぜ!」みたいな意気込みがあったわけでは全然なくって、どちらかというと、色を使うことに、ものすごい抵抗があるから白と黒になっているっていう感じなんだよね。白黒ってのも立派な色じゃん。色の起源でもある。


私は、色っていうものに対するこだわりがある人なんだと思う。「この色を使う自分自身って何?」みたいなことも、すごい考えちゃう。で、そこに納得度がないとやっぱり手が止まるの。色のある絵っていうのをすごい長いこと描いてなかった。その白と黒の中にある無限の色彩っていうか。豊かなんだよね白と黒って。結局、どんな光の下でも白と黒は白と黒だから、どんな目の人が見てもこの作品はこの作品なのよ。色盲の人は、赤が見えないじゃん。光が変わっちゃうと色って変わるんだけど、白と黒だけは変わらない。そういう普遍性に私は惹かれてると思う。白と黒であればそこにどんな色彩を見出すことも可能だと思う。見た人が何色を投影してもいいの。



三嶋かよ:そうなんだ。白と黒だけど・・・



香久山雨:何色だと思ってもいいって私は思っていて。例えば、この「black-eyed angel」は青っぽいイメージがある。だけど、この後に描いた「blessed」っていう骸骨が二つ向かい合っているやつは、ちょっとパッションピンクみたいなイメージがあるの。白と黒なんだけどそこに込められてるカラーっていうのが私の中にはあるんだよね。見てる人の中にもそれぞれあるんじゃないかなーって勝手に思っている。そういう懐が深い色でもあると思う。白と黒って。



三嶋かよ:確かに、見る人によって違う色のイメージを持つっていうのはあるかもね。どういう光であっても、白と黒っていうのは変わらないもんね。今回はこの作品が掛け軸に表装されるんだよね?まだ雨さんが迷ってた時期に私雨さんと話をしていてて、掛け軸にしようかどうか。掛け軸にしようと思ったのは何故ですか?



香久山雨:日本画は、掛け軸にするのがフォーマルな落とし所の一つなんですよ。私は、素材は「墨」とか「和紙」とか「絹」とか、所謂、日本画の枠の中の画材を使ってるんだけど、自分の絵が日本画かっていうと、よく分からない。骸骨というモチーフであるとか、結構、立体的に描くやり方とか。あまり平面的じゃないから、日本の伝統的な浮世絵みたいなものとも違うし。描いてある物自体はヨーロッパ的でもあるんだよね、とか思いながらも、材料は、日本画材なわけですよ。


ここに自分らしさがあるって思ってもいるんだけど中途半端でもあると思ってる。私は何なの?って。結局これね、自分のアイデンティティをすごく表してるなと思っていて。私は日本人で、一回も海外に行ったことがないぐらい日本という土地に土着して生きてんだけど、3歳から18歳までカトリックの教育受けてるんですね。だから概念的な部分はキリスト教が入ってる。学校はキリスト教だから、マリア様の像とか聖書の一場面を書いた絵とかが飾ってある。私にとって美術の源流っていうのはそういうヨーロッパ的な宗教画だったりするし、音楽も、ミサがあるから、ミサの音楽だったりするわけですよ。

でも、私が生きてる土地はあくまでも日本じゃん。だから、自分が何者なのかって言われると結構難しいなって今でも思ってるんだよね。日本人だけど、日本の宗教、神道とか仏教とかよりも、キリスト教の方が分かるし。でも、ヨーロッパでキリスト教徒をやってる人たちと自分が同じかっていったら、絶対に違うじゃん。だから、自分が何なんだろうか、みたいなモヤモヤがそのまま絵になってる。モチーフは骸骨とか花とか、ものすごい典型的ヨーロッパ的な画題だと思う。描き方もペタっとしてないで

立体的に描いてるから、これもちょっとヨーロッパ的なものの見方。


だけど、私はここで油絵でそれをやろうとは思わないわけ。なんでかって言うと、単に体に合わなかったの。油絵科で大学に入ったんだけど、あの油の匂いと、絵の具の重ったるさっていうのかな、ネトネトしてるじゃん、油だから。あれを扱う体力が私にはなかった。結構力がいるのよ、絵具をただ練るとかってだけでも。私はそれが本当に合わなくって。あと、一番は、匂いかな。耐えられなくて。で、断念。身体的に無理。そこで、墨とか和紙とか絹に近付いていく。墨は香りもいいしネトネトもしてない、さらっさらじゃん。和紙は薄くて繊細で、絹も透けちゃうくらい薄い物で、この繊細さが、私の肌にものすごい合ってるんですよ。心地がいいんです、扱っていて。だから、やっぱり体が日本人ってのはこういうことなのかなって思うんだよね。


あとは、もしもヨーロッパに行って、違う光の下で絵を描いたら油絵がやりたくなるかもしれないよね。スペインとか、イタリアの南のほうとか、光がきれいな所に行って、油絵が日本で見るときと全く違う輝きをすると思う。そういう条件の中なら油絵をやりたくなるかもしれないけど、少なくともこの湿気の多い日本で、私が絵を描くんだったら油絵よりは墨とかの方が良いということで、このような絵ができてます。



三嶋かよ:なるほど、で、掛け軸っていうところに行き着くのか。



香久山雨:こういう素材を使ってやったからには、掛け軸になった姿も1回ぐらいは見てみたいと思った。



三嶋かよ:雨さん自身がね。



香久山雨:そうそう。やっぱり日本画としての私の作品っていうのを一回見てみたいなって思った。それが良いか悪いかは、出来てからじゃないと判断できないから、とりあえず一回やってみようと。いざ、ツテを頼って作ってもらったら、何のことはない。私は指示を出すだけなので作ること自体は、全然難しくなかった。職人さんがやってくれるので、私は何もしないからね。やってみてもらって、まだ実物は見てないんですけど、すごい満足感はあった。



三嶋かよ:掛け軸になった作品を見るのも楽しみ。雨さん自身も楽しみだね。



香久山雨:ギャラリーに飾ったらどんな感じになるんだろうかっていうは、本当に楽しみだね。



三嶋かよ:落款印?作品に押す判子っていうのかな?印鑑も、手作りなんですよね?



香久山雨:手作りです。自分で彫った。



三嶋かよ:これはどういうものなんですか?私、落款印自体もそんなによく分かってないんだけど。



香久山雨:日本って言うか、アジアっていうは印鑑文化なんだよね。ヨーロッパとかはサインの文化なんだけど、なぜかアジアは印鑑の文化で、この人が書きました、みたいな証明が、サインではなく印鑑。日本画とかも全部印鑑が押してある、必ず。今の時代、印鑑なんか押さなくても別にいいんだけど、ゴッコ遊びの一つとしてやりたかった。「日本画ってこういうもんだよね」みたいなのをやりたかった。人に頼んで彫ってもらうこともできるんだけど、やっぱり自分で作って、自分で押すっていうことをやってみたくて、私の母が書道家で、彼女は印鑑を作ったこともあって、なので彼女に手伝ってもらって自分で彫りました。で、不思議な事に、本当に印鑑を押すだけで、すごく日本画に見えてくる。



三嶋かよ:そうか、朱の色が入るからね。



香久山雨:墨で描いて、そこに朱印が入るだけで一気に日本っぽくなっちゃうの。西洋的なものに見える私の絵でも。朱色ってものすごくアジアンというか、威力を感じる。



三嶋かよ:東洋の風情がね。



香久山雨:そう、東洋の風情が一気に漂うのよ。ちょっとしたこの風情を入れることで、私は日本人としての満足感は得ていると思う。そういう自分のアイデンティティっていうのを、この、たかが印鑑なんだけど、されど印鑑みたいな感じで、込められるものなんだなと今回押してみて感じた。サインとはやっぱり違うの。



三嶋かよ:魂が込められてるっていうか、そのひと突きがね。



香久山雨:印鑑押すのに、めちゃ緊張するし、赤だから目立つし、失敗したら直せないし、本当に緊張感があって、よくも昔の人は、こんなものバンバン押してたなって思うわけ。独特な行動だよね、印鑑を押すっていう行為は。



三嶋かよ:なんか儀式っぽいよね。



香久山雨:すっごく儀式感がある。この儀式に込めてた何かがあるんだろうなってすごく感じた。だからゴッコでも、こういうのをやってみるのは大事だなって。「こんな風にやってたんだ、昔の人は。」みたいなね。このゴッコ遊びが楽しいうちは続ける。作風によっては押さない方がいいものもあるから、相性が良さそうな絵に押して、楽しんで使ってみたいって思う。



三嶋かよ:その落款印を見るのも楽しみですね!

ありがとうございました。



最新記事

すべて表示

#07 個展は夢で味わった感覚の再現 【香久山雨スペシャルインタビュー】

香久山雨スペシャルインタビュー「創造の向こう側へ」ナビゲーターをつとめます、マインドフルネス・セラピストの三嶋かよです。 三嶋かよ:今回でラストになります。7回目の放送ですけれども、今日は1月に控えている雨さんの個展に向けて「今、ここにある想い」を伺っていきたいと思います。まずは、作品の進捗状況を教えて頂きたいんですけれども。 香久山雨:ちょっと前までもう絶対に終わんないと思ってたんですけど、意外

#06 湘南に暮らす画家の日常 【香久山雨スペシャルインタビュー】

香久山雨スペシャルインタビュー「創造の向こう側へ」ナビゲーターをつとめます、マインドフルネス・セラピストの三嶋かよです。 三嶋かよ:体調はどうですか?最近体のコンディションは。 香久山雨:ここ一週間ぐらいでやっと良くなってきた。 三嶋かよ:一時ちょっと辛かったかな? 香久山雨:そう、ちょっと辛かったんだけど、波がある。その波に、理由は特にないっていうことも分かってる。なんとなく気候とか、季節によっ

#04 表現することで味わえる快感【香久山雨スペシャルインタビュー】

香久山雨スペシャルインタビュー「創造の向こう側へ」ナビゲーターをつとめます、マインドフルネス・セラピストの三嶋かよです。 三嶋かよ:今日は4回目ということで、雨さんの創作中のマインドについて伺っていきたいと思います。私と雨さんは心の話や精神世界の話ををすることがとっても多いんですけれども、雨さんが創作をする時、絵を描く時にどんなマインドなのかお伺いしたいんですが。絵と向き合う時の、雨さんの心の状態